溶接との出会い、指導者に感謝
日鉄住金テックスエンジ機械事業本部エンジニアリング事業部大分エンジニアリングセンタープラントエンジニアリンググループで設計業務に携わるかいさんは、大分県立日出暘谷高校(現・大分県立日出総合高校)在校時に溶接を経験した。同校では電気、機械に関する技術を幅広く学ぶなか、2年生の時に溶接の部活動を担当していた教員から、第1回九州地区高校生溶接技術競技会に女子チームの一員として出場を勧められたことがきっかけで本格的に溶接を始めた。
「溶接を初めて見たときは、その迫力に驚いた。日常生活では溶接を適用した様々な製品に囲まれているが、こういう工程を経ているのだ」と感心した。そこに恐怖心はなく、好奇心がわいてきたという。競技会に向け溶接の練習を重ねるうちに、溶接が面白いと感じるようになった。「毎日の練習のなかで自分なりに工夫を重ね、仕上がりの良い溶接ができた時の感動、うれしさが溶接の魅力」という。
指導者との出会いも大きな財産となった。1986年度第32回全国溶接技術競技会(主催=一般社団法人日本溶接協会)被覆アーク溶接の部で最優秀賞を受賞している山下順一氏(山順工業、)から同校で教わるだけでなく、同氏のもとへ指導を受けるために出かけたこともあった。「山下さんの指導方法はとにかく熱心。溶接に対する思いを感じるとともに、技能を伝えることで生徒のためになればという思いやりも感じた」。その結果、九州大会では団体・個人ともに優勝の栄誉に輝いた。「溶接に出会ったこと、指導していただいた各位に本当に感謝している」と当時を振り返る。
社会に出てからも溶接に携わりたいとの思いで就職活動を開始した。同校の教員の勧めで同社に入社、設計部門に配属された。入社後は結婚、出産も経験した。「当社は産後休暇など福利厚生が充実し、働きやすい職場で恵まれている。当初希望した溶接には従事できないものの、これも溶接の縁」とほほ笑む。
溶接を通じて技術だけでなく、様々な経験を積む過程で時には人情にふれ、人間的にも成長した。そして、その経験が就職に繋がり、家庭と両立できる職場に配属され、子供も生まれ幸せな人生を送っている。
溶接を続けることは技能向上だけが目的ではないのかもしれない。頑張って技能を磨けば、仕事だけでなく、それが縁となり私生活でも幸せな人生を送ることができる。