引くに引けず溶接に取り組んだ母
その溶接する母にあこがれた次女
鉄やステンレス鋼を用いて、大型船に搭載する燃料や飲料水のタンクを製作する村井鉄工所(愛媛県今治市)で、ちえこさんは切断や溶接を担当する。穴あけや仕上げはちえこさんの母が担当し、親子で工場を営んで10年になる。父の死を受け、結果的に溶接が生業となったちえこさん。その次女、しゅかさんは、子供のころから溶接するちえこさんにあこがれ、工場を継ぐことが夢になった。
10年前の6月、ちえこさんの父が突然、この世を去った。66歳だった。「病院嫌いだった父は当時、相当我慢を重ねたのだと思う。亡くなる1カ月前くらいにステージ4のがんであることが分かった」
村井鉄工所は、ちえこさんの父と母が共に立ち上げた。タンク製作は専ら父の仕事であり、母は掃除のほか、穴あけと仕上げなどを担当し、傍らから父を補助した。ちえこさんが学校から帰れば、両親はそこで働いていた。ちえこさんが休みの日も両親は工場にいた。溶接をはじめとする工場の作業はちえこさんにとって子供のころから身近なものだった。
ちえこさんは高校を卒業後、アルバイトをしていた18歳の頃、長女の妊娠をきっかけにバイトを辞め、父に誘われたこともあり、鉄工所を手伝うようになった。
入院したときから、父の余命がわずかである現実に直面したちえこさんは母と相談した。工場の屋台骨が不在となったこと、そしてちえこさんが三女を妊娠中であった時期と重なったこともあり、元請けに対して、今後仕事は受けられない意向を伝えた。
その後、父が一時帰宅することが決まった。「多分父は、自身が亡くなるとは思っていなかったと思う。帰ってまた仕事をするのだと。それなのに、すべての仕事を断ったら、父はどう思うだろうか」
元請けに一度はできないと伝えたものの、父が帰った時、仕事がないと困るとの結論に至り、「仕事をください」と懇願し、理解を得た。
一時帰宅した父は、母とちえこさんの仕事ぶりを見た。「父が亡くなってからは、元請けにできませんとは言えなくなって、母と二人で続ける道を選んだ」
とはいえ、鉄工の仕事はすべて父が担っていたため、ちえこさんにとっては「そもそも図面が読めない。何もかも分からないことだらけ」。時には元請けに頭を下げ、図面の読み方など、教えを求めた。
ただ、父の傍らで長年作業していた経験から、タンクの製作は「こんな感じにしていた」というおぼろげな感覚が身についていた。「私が曲げると、継手が尖ったようになる。試行錯誤を重ねることで、父の仕事がそうだったように、なんとなく丸くなってきたと感じるようになった」
溶接に関して、ちえこさんは、「タンクの漏れたらいけない部位を溶接したこともあり、多少はできた。ただそのころはとにかく必死で、納期に間に合わせることが一番。母とともになんとか最初のタンクを仕上げた。次からもできるかと自問し、やらなければならないと覚悟を決めた」。父が亡くなった3カ月後、三女は無事に生まれた。ちえこさんは「ここまで頑張ってこれたのも子供達のお陰」と振り返る。
ちえこさんは、今年9月に20歳になる長女をはじめ、次女(高3)、長男(中3)、三女(小4)の4人の子の母である。
次女のしゅかさんは小学生のころから、夏休みなどには工場でスパッタ取りなどを進んで手伝った。10歳のとき、小学校で開かれた将来の夢を発表する「2分の1成人式」では、「おかあさんの溶接を見ていてかっこいいな。私もおかあさんのようになりたいな」と、ずっと胸に秘めてきた思いを披露した。
しゅかさんは現在、地元の工業高校の機械造船科に通う。同科では初めての女子生徒である。
中3で参加した体験学習の際、初めての溶接は「こわさはなかった。先輩に細かく教えていただき、楽しい印象を抱いた」。入学後は、実習を通じ、他の技能と並行して溶接の経験を重ね、「練習したことが実際にうまくできたときなどはうれしくなる」
実家の工場では、溶接の練習を行うこともある。ただ、ちえこさんは、自らが溶接の基本を学んでいないという理由で「教えたことが間違っているといけないので、傍らで見ながら『こうしてみたら』といったアドバイスにとどめている」
ちえこさんに現在の仕事のやりがいを聞くと、「私がつくったタンクが、大きな船の一部を構成していることは感慨深い。また、この子が私にあこがれて、すごいと言ってくれるところ」と話す。
ちえこさん曰く、しゅかさんは、他には目もくれず、子供のころの夢を一途に追い求める。卒業後の進路の第一志望は地元の造船所。溶接する母にあこがれ、工場を継ぐことが夢と話すしゅかさんは「将来についてはゆっくり考えようと思っている。母はまだ若いし、造船所で働きながら考えたい」
ちえこさんは、一度は断った仕事をもう一度くださいと元請けに言った以上、引くに引けない状況から現在に至る。しゅかさんは、ちえこさんの溶接する姿をかっこいいと称する。今治の海沿いにある工場の話である。
母・ちえこさん
次女しゅかさん