北原ウエルテック株式会社

"子育てと両立、
背中を見て息子も入社"

かわはらさん

「ものづくりが好きだったこと。溶接の仕事がとても魅力的に映った」――北原ウエルテック(本社・福岡県久留米市宮ノ陣)のかわはらさんは、溶接にたずさわるきっかけを語る。溶接歴はすでに15年に及び、現場で中核を担う女性溶接士だ。

北原ウエルテック本社

同社は久留米市に1950年に創業。当初は貯蔵用タンクの製造からスタート。創業50年の2000年には、溶接工場を建設するなど規模を拡張し、現在は半導体製造装置や、車両、医療機器分野など、多様な精密板金加工を手がけ、従業員は約200人の規模を誇る。


ティグ溶接中


同社の溶接工程は、炭酸ガスアーク溶接で軟鋼のフレームを溶接する厚物部門と、ティグ溶接で厚さ約1ミリ前後のステンレス鋼を中心に部品を組立てる精密溶接の2部門に大きく分けられる。かわはらさんは、ティグ溶接部門で、半導体製造装置の部品組みたてなど、精密な突合せ精度や接合品質が求められる溶接を行っている。

地元の久留米市で育ったかわはらさんが、同社に入社したのは27歳の頃。当時は2人の子供を育てるシングルマザーだった。入社後最初の配属は、資材の梱包や発送準備などを行う仕事だったが、工場内の隣で行われていた溶接の生産ラインの仕事に気が向くようになった。

「小さい頃からものづくりが好きだった。直感で私にもできるように感じた」。それまで溶接の経験はまったくなかったが、当時の上司に異動を申し出た。将来の生活を考えたとき、資格と技能が必要な溶接の仕事を身につけ、スキルアップをしたいと思ったのも理由のひとつ。

田中さん(左)とかわはらさん

当時、同社の職場には女性の社員は多くいたものの、溶接現場に配属された例は無かった。「自分でも気が強い性格だと思う。男に負けるのは大嫌い」(かわはらさん)。職場での上司にあたり、かつ学校の同級生としてかわはらさんを古くから知る、同社生産管理部第一製造部の田中政人係長も「やると決めたらとことん努力をする性格。とにかくまず挑戦してもらおうとなった。溶接の腕もたちまちに上達した」とかわはらさんを評する。

溶接部門に配属後も、半導体製造装置の受注が増えたのをはじめ、工場はフル生産の好況期が続いた。2人の男の子が幼い頃は、朝保育園に送り出し、時には残業をしながら、懸命に仕事に取り組んだ。


社員旅行でもまとめ役を務めた

「溶接のなかでもティグ溶接はとくに感覚的な仕事。感性はひとりずつ違うので自分で身につける部分が多い」とかわはらさんは溶接の印象を語る。まわりの先輩に教えを受けつつ、自分で見て覚えもしたが、最終的には自分なりの感覚をつかむことが大事だと言う。「男だから女だからということではなく、あくまで仕事の結果で評価をしてほしい」。

会社案内のモデルとしても登場

技能の向上を目指す一方、自らの溶接作業スペースも工夫をして改善していった。作業台の高さの調整や、部品を入れる小物も自分で使いやすいものを探して揃えた。

昨年の4月には全国ネットのテレビ番組に出演。働く女性をファッションやメイクでコーディネートする名物企画に登場した。また6月には、北九州市で開催された溶接展示会で、かわはらさんを含め女性溶接士3人によるトークショーにも参加した。

「自分から応募したわけではないのだけれど、声をかけられる機会も増えた。他の女性溶接士とのイベントでは、厚板の半自動溶接をバリバリやっている方もいて、刺激になった。溶接での肌の焼けなど、同じような悩みをもっていることもわかった。」


力也さん(左)とかわはらさん

私生活でも大きな変化があった。3年前に再婚をし、そして昨年には長男の力也さんが同社に入社した。幼い頃、学校の社会科見学の授業で母親の仕事場を見たこともあった。入社後改めて母親の仕事ぶりを見て「素直に感謝とすごいと思える」。かわはらさんも「親子だからと甘えてみられるようなことがあってはいけない」とはっきりと息子に伝えた。力也さんは現在溶接とは違う部署にいるが、「いつかは溶接をやってみたい」と語る。

そして今年、新たな家族が誕生する予定だ。今はいったん溶接の現場を離れ、体に負担のない業務に就いているが「家族や職場とも相談して、また溶接の現場にも戻ってこられたら」と将来像を描く。