本田技研工業株式会社 熊本製作所

"仕上がりの
柔らかさに定評"

完成車工場 車体製造モジュール

わたなべさん(2012年入社)

受け継いだ溶接士の「遺伝子」

普通科の高校を卒業後、現在の職場へ就職し、溶接を行う部署へ配属された。同じ工場で、実の祖父が溶接に携わっていたことを知るのは、配属後のこと。溶接士の「遺伝子」が導いた不思議な縁だ。

「私はアルミ、祖父は鉄。材料の違いはあるが、偶然同じ現場に配属された。もともと、当社への就職を決めたのは、祖父の助言があったから。家族は誰も教えてくれなかったが、入社後に一緒に働いていた人から話を聞き、驚いた」

高校では、ものづくり関連の授業がなかったため、実際の溶接を目にしたのは、入社後の現場が初めて。

「抵抗はなかったのかとよく聞かれるが、溶接作業に悪い印象を抱くことはなかった。火花にはびっくりしたものの、『早く上達したい』という一心で取り組んだ。初めての溶接は、距離感もつかめず、ビードはぐちゃぐちゃ。負けず嫌いな性格のため、こっそりベテランの先輩をライバルとして意識し、『この人を驚かせるようなビードを引こう』と目標を掲げ、ひたすら練習に励んだ。はじめは周囲についていくのに必死だったが、徐々に溶接できる個所も増えていき、面白さと達成感が芽生えた」


現場から開発の最前線へ



入社後5年間は、二輪車のフレーム製作を行う部署で、アルミニウム合金の溶接に従事。ティグ・ミグ溶接を用い、板厚2.5~3ミリの立体的なアルミフレームの加工にあたった。女性ならではの仕上がりの柔らかさに定評がある。今年度からは、溶接士としての修練の成果が認められ、技術開発を行う部署へ異動。現場で体得した溶接技能を、機械設備へと置換するための開発に取り組んでいる。

「現場で一番大事なのは、一緒に働く人たちとのコミュニケーション。機械音に負けないくらい大きな声で、お互いにフォローしたり、ミスを注意し合ったり。職人同士の応酬が飛び交う雰囲気の中に、楽しさがある。父親ほど年の離れた先輩もたくさんいるが、周囲に守られ、育てられてきたと実感する」

現在も、たくさんのアドバイザーから助言を受けながら、自身の開発テーマに取り組んでいる。同社のものづくり工程に新たな可能性を見出す、重要なポジションだ。

「デスクワークも多くを占めるため、一日の大半を溶接作業に費やしていた現場の仕事とは、全く異なる業務内容。入社一年目に戻ったのと同じだと考えている。正直、頭を使うよりも体を使う方が得意なので、今は脳を柔らかくするのに必死。来年3月に、現在取り組むテーマの開発を完了する予定のため、ゴールを目指して頑張りたい」


性別に関わらず楽しい仕事

入社して6年、溶接の現場で、「女性だから困ったこと」は特に思い浮かばない。学生時代、バスケットボールによって培った体力のおかげで、重量物も難なく持ち上げ、驚かれることもしばしばだ。遮光面の重量感も、慣れてしまえば日常的な感覚に変わる。

「現場で気遣うのは、溶接焼けを防ぐため、クリームを塗り、肌の露出を控えることと、目を守ること。汗で流れてしまうため、化粧はしない。現場では、何も考える必要のない『すっぴん』が心地良い。強いて言えば、作業時の装備がもう少し軽装になると、『溶接女子』が増えるかもしれない。女性にとって、溶接は難しい印象があるかもしれないが、実際に従事する側からすると、性別はあまり関係がない。技術職のため、身に付ければ身に付けるほど、楽しい仕事。街で二輪車が走っているのを見かけると、もしかしたら自分が溶接を手掛けた製品かもしれないと思い、嬉しくなる」

長い間、紅一点として現場で鍛錬を積み、現在では入社当時の「ライバル」へ着実に近づいている。来年度からは新たに2人、女性の後輩が入社する予定。同社の未来を担う「溶接女子」の先輩として、体得した技能にさらなる磨きをかける。


休日はアウトドア派。同社野球部の応援に精を出す。東京ドームでは、HONDA熊本が参加した都市対抗野球大会を母親と観戦した。また、友人とのショッピングも楽しむ。